emorin1857’s diary

今の世の中に憤りを感じるサラリーマン(女)の心の叫び

「会社のために」が合言葉。部下の人生を食いつぶすバケモノ上司たち

こんな世の中は狂っている。バケモノたちの巣窟だ。

 

日系大手ゼネコン企業に総合職として入社し早5年弱。同期は100人ほどいたが、同じ職種の女性は自分を入れてわずか2名だった。そのもう1名は今冬結婚して、彼が転勤になったらついていく(退職する)らしい。

 

私はこの仕事が大好きだ。誇りを持って5年弱という短い時間だけれども働いてきた。けれど、いや好きだからこそ、もう何のために頑張っているのかわからなくなってきた。

 

「会社のために」社内の事情はよく知っておいた方がいい。だから昼間はつまらない社内の噂話に時間が消費される。

「会社のために」お客様の接待の時は女の子が必要なんだ。だから夜はコンパニオン代わりの飲み会に毎日のように追われる。

「会社のために」下積み時代は上司の何倍も働かなければならない。だから土日は上司の分の仕事をするために仕事に行く。

 

ミスをすれば飲み会ばかり行っているせいだと言われ、恋人がいないといえば仕事ばかりしているからだと言われ。しまいには25歳を過ぎても結婚の気配がなければ奇人変人扱い。

会社の不効率や不条理に声を上げれば厄介者と見なされ、社外との交流で気づいた新しい視点を話せば煙たがられる。

 

好きな会社、好きな仕事だからより良くしたいと、自分の考えを発するよりも、お金のかからないコンパニオンに徹した方が有り難がられるのか。

自分の考えを持たず、ただひたすら処理をするマシーンのように働くことが正解なのか。

 

自分自身の人生を生きることは許されないのか。

「価値や魅力を感じた仕事を通して、社会をより良くしたい」ただ、それだけなのに、何故こんなにも難しいのか。

自分の意志を持ち、働くことはいけないことなのか。

 

息を吸うだけで何もしない先輩社員。朝から晩までネットサーフィン。けれど年功序列制。給料は私の何倍だろう?

「下積み時代を耐え抜きさえすれば、何もしなくても給料が上がる」と自慢げに語る上司たち。たった一度きりの自分自身の人生、本当にそれでいいの?

 

「生きるためのお金を稼ぐ作業」と仕事を割り切れれば、それでいいのかもしれない。けれど、私は自分の仕事に社会的意義があると誇りを持っていた。それは間違っていたのだろうか?

 

今の日本のサラリーマンの多くは、人生の時間の大半を仕事に捧げている。会社と家の往復で毎日が過ぎていく。

彼らが誇るのは、仕事を通して何を成し遂げたかではなく、日々の労働時間。右を見ても左を見ても、労働時間の多さを自慢しあっている。

彼らは、本来自分自身の人生を生きるために使うことができる時間を「会社のために」生きた結果、部下に自分と同じ生き方を強制するバケモノになってしまった。

 

今私たちを苦しめるバケモノは、「会社のために」という大義名分を振りかざされ、人生を食いつぶされてしまった哀れな者たちの成れの果てなのかもしれない。

 

しかし、そんな彼らに同情はするが、この現状を見過ごすことはできない。

それは若者たちがメンタルを病み、鬱となる原因がここにあるからだ。

 

自分自身の人生を歩みたくても、上司と同じ様な(しかもつまらない)人生を強制される。そんな人生を生きる意味はあるのだろうか。「死んでいるように生きるのならば、いっそのこと楽になりたい」そう言って、自ら命を絶ってしまう若者もいる。

 

では、昔はメンタルを病む者が少なかったのに、何故今の若者は病んでしまうのか。

それは、昔は「その道しかなかった」からではなかろうか。上司と同じ人生を歩むことしか見えない、選択肢のない、盲目的な狭い世の中だったからではなかろうか。

 

でも、今は違う。SNSが発達し、世界はグローバル化し、人生の選択肢は無限となった。人間は他者との比較によって、己の生き方が規定されていく生き物である。目の前の狭い世界で生きている上司の生き方に、違和感や疑問を抱くのは至極当たり前のことだ。

 

しかし、その考えを発したら最後、「お前は間違っている」「頭がおかしい」の大合唱。外の世界を見えなくするために、増やされる一方のタスクと労働時間。忙殺される日々に心と頭は切り離され、メンタルは病んでいく。こんな世の中に未来はあるのだろうか。

 

もう一度言う、何度だって言う、こんな世の中は狂っている。

バケモノたちの餌食になるな。次のバケモノになるのは自分だ。そうなる前に目を醒ませ。