emorin1857’s diary

今の世の中に憤りを感じるサラリーマン(女)の心の叫び

人生は有限だ。何かを成し遂げるにはあまりにも短い。でもだからこそ、生命を掛ける意義がある

私はまだ人の死というモノを知らない。 


母子家庭で生まれ育った私は、小さい頃から祖父母と母の4人暮らしで、幸いなことに4人とも大きな病気はしつつも、今も4人とも健在だ。


今日、会社の先輩が亡くなった。
先輩といっても、20個近く上の方だけれど、誰にでも優しく、包容力があって、誰からも好かれる天使のような人だった。
社内結婚をされた旦那さんもかっこよく、とても素敵な営業マンで、誰もが羨む夫婦。娘さんも可愛くて、社内報に引っ張りだこな、誰がどう見ても幸せな家族だった。


そんな先輩が、癌に侵され、1人闘病していることは何となく耳にしていた。姿が見なくなり、心配だけれど触れられない。そんな状況が半年ほど続いた矢先だった。


お見舞いに行けばよかった、もっと色々な話をすればよかった、何か力になりたかった。今更悔やんでも遅いのだけれど、走馬灯のようにそんな想いが訃報を聞いたその時からずっとぐるぐると回っている。


私の祖母も昨年大腸癌に侵され、10時間に及ぶ手術を行った。助かるかはわからない。手術は賭けだった。祖母に育てられたも同然な私は、初めて人の生命というものと向き合った。手術中は実感が湧かなかったが、手術が終わり祖母の無事を感じた時、私は声を上げて泣いていた。25歳になっていたが、愛する人の死を受け入れられる自信はその時も、26歳になった今もない。


先輩の娘さんはまだ小学生だったはずだ。母の死を、彼女はどう受け止めるのだろうか。私は母子家庭という要因もあるが、自分のお母さんが大好きで、今も友達に相談できないようなこともなんでも話せる。世界中が敵に感じる時も、母だけは味方になってくれる自信がある。それくらい掛け替えのない存在だ。
まだお母さんから聞きたかったこと、たくさんあるだろうな。お母さんにたくさん甘えたかっただろうな。お母さんにたくさん恩返ししたかっただろうな。お母さんに自分がお嫁さんになる姿、母になる姿見せたかっただろうな。そう思うと涙が勝手にあふれてしまう。


娘さんや旦那さんの気持ちを思うと、苦しくて仕方ない。しかし同時に、先輩の死というものに直面して、自分の人生というものの有限さを改めて認識した。


人生は有限だ。何かを成し遂げるにはあまりにも短い。でも、だからこそ自分の生命を捧げるに値することに出会えたなら、自分自身の精一杯を尽くさなければならないのだと思う。
ただ、そんなものに出会えるのはごく一部の人である。それは本当に幸福なことで、だからこそ決して信念を曲げてはいけないのだ。


先輩の死に直面し、生命と人生の価値を改めて思い知った。他者の死によって、自己の生命の存在を改めて感じる。死とは生の条件なのかもしれない。

 

先輩のご冥福を心からお祈り致します。