emorin1857’s diary

今の世の中に憤りを感じるサラリーマン(女)の心の叫び

死んだ心は生き返るのか


最近色々なことが重なって、すっかり心が死んでしまった。
毎年この時期は決算と、世の中が浮き足立つクリスマスと、年が終わることへの焦燥感にかられ、心が瀕死状態になることが多いが、今年はついに死んでしまったような気がする。

何というか、糸が切れたというか、心が何も感じなくなった。

26歳となった私の周りは本当に結婚ラッシュで、クリスマスのSNSは「独身最後のクリスマス🍷来年はもう家族だねっ❣️」や、「ママになったから、今年から彼はパパサンタ🎅💕」などといった投稿で溢れかえる。
別に自分は今のところ結婚願望はないのだから、焦りを感じる必要もないけれど、漠然としたモヤモヤを感じるようになった。
母子家庭育ちの私は、普通の家族というものを知らないからこそ、自分の家族が大好きだし、だからこそ自分自身は早く結婚して子どもを産んで、母や祖父母に普通の家庭というものを築いた姿を見せなければならない、というプレッシャーが小さい頃からある。
ただそれと同時に、「好きな人と結婚して、子どもを産んで、お母さんになる。」そんな当たり前で、ありきたりなつまらない人生はごめんだと思っていたような可愛げのない子どもでもあった。けれど、いざそうなりたいと願っても、こんなにも難しいものなのだなと思う。
当たり前の幸せな家庭は、やはり自分には縁遠いものなのだろう。


しかし、これはクリスマスや誕生日など、そういうイベントが近づくと昔からぼんやりと感じていたことである。(「幸せな家庭」とは縁遠いことを再認識させられるので、どうやら自分は家族で祝うイベントものが苦手らしい。)
なので、心が死んだ要因ではない。


私の心が死んだ一番の要因は、やはり会社や、それに紐付く人間関係、その他諸々であろう。
正直自分がそこまで追い詰められている感覚はなかった。休みの日は自分がやりたいことをやっているし、心を許せる人も数は少ないけれど0ではないし、自分は恵まれていると思う。


けれど、周囲の人の期待に応えようとすればするほど、自分の心はすり減っていた。


ある程度自分のためにわがままになりたくても、「そんなのあなたらしくないよ」という他人。「私らしさ」ってなんだ?あなたは私の何を知っているんだ?そう喉まで出かかっても、お人好しの自分は「そうですよね〜」と笑顔で自分の気持ちは押し流してしまう。そんな自分にまた自己嫌悪をする毎日。完全に悪循環だった。


会社でも家でも、自分はどこか「周囲が抱く理想の私」を演じてしまっているのかもしれない。6年間ほど子役をやっていた自分に染み付いた、悲しい性である。染み付いてしまっているので、もはや息を吸うようにそうなる。結局他人のために、自分の人生をすり減らしているのかもしれない。それはもしかしたら、私が憐れむ上司たちよりも悲しい人生かもしれない。


もうクリスマスも終わり、一年の終わりが近づいてきた。こんな心で2018年を終えたくないなぁ。

 


死んだ心は生き返るのか。
それは正直無理な気がしている。
嬉しいや楽しいもあまり感じなくなってきた。


死んだ心は生き返らない。
けれど、生まれ変わることならば出来るような気がしている。
生まれ変われるかは自分次第。自分を助けてくれるのは、自分しかいない。
 

 
2018年もあと少し、もうすこし踠いてみようと思う。